Liverpoolというフットボールクラブが正式に設立されたのは1892年6月3日のこと。
長い歴史をもつクラブであり、今に至るまでには幾多の栄光もあれば、大きな悲劇もあった。
リバプールの歴史を振り返ったとき、ヒルズボロの悲劇を無視することはできない。
クラブにとって、最も重要なものとして位置づけられているのも事実。
1989年4月15日、フットボール史に残る悲劇は起こってしまった。
ヒルズボロの悲劇について少しだけ触れてみると、次のような出来事でした。
シェフィールドのヒルズロボスタジアムで開催されるはずだったFAカップ、リバプール対ノッティンガム・フォレストの試合で発生したあまりにも悲しい事故。
ゴール裏のスタンドに収容能力を超える観客が入場し、スタジアムが崩壊するという惨劇に。
この悲劇により、96人のファン、その尊い命が失われています。
後年、もうお1人が亡くなっており、今はヒルズボロの悲劇への黙祷を捧げる際には『97』の文字が描かれています。
Anfield observes a minute’s silence in memory of the 97 supporters who lost their lives in the Hillsborough tragedy, ahead of Monday’s 35th anniversary. pic.twitter.com/fCOTr2oIeQ
— Liverpool FC (@LFC) April 14, 2024
スタジアムへ入ろうと押し寄せた観客に責任があるような言われ方をしたこともありましたが、長く検証を求めて来た結果、警備、誘導体制に不備があったことが判明、認定されるに至りました。
ここに至る道も長かった。
リバプールとノッティンガム・フォレストは、当時のイングランドを代表する2チームであり、ヨーロッパレベルでも強いライバル関係にありました。
リバプールが黄金時代を築いていた頃、イングランドのフットボールを牽引していたのは、リバプールとノッティンガム・フォレストであり、それはアーセナルでもなければ、マンチェスター・ユナイテッドでもありませんでした。
その両者が対戦するのですから、当時の熱狂のほどがうかがえます。
ヒルズボロの悲劇を大きなきっかけとして、イングランドはスタジアムの安全性を高めるための対策を打っていくことになります。
お年寄りからお子さんまでが、安心して通えるスタジアムに。
そういった意識を再認識させる出来事であったことは事実でありましょう。
それでも、犠牲はあまりにも大きかった。
リバプールでは、毎年4月15日には、犠牲になったファン、お1人、お1人の名前を呼び、慰霊を続けています。
レジェンドであるケニー・ダルグリッシュもずっと遺族に寄り添うことを続けて来た。
97人のファンが命を失った悲劇、その犠牲者の中には勿論若者や子どもさんもいらっしゃいました。
この日にあたり、私は姿勢を正し黙祷をし、御霊よ安らかにと祈りを捧げたいと思います。
YNWA